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10/06/8(324)

Column 「ちょっとマテフロ」



“世界の中小企業”スズキの経営戦略

その2/鈴木修会長兼社長の痛快講演から

月刊「マテリアルフロー」6月号特集「3PLブラッシュアップ」からのぞき見するスズキ㈱

鈴木修会長兼社長の痛快講演録。今回は「25周年」で会社を襲う危機の話から、次

第に盛り上がっていきます。
 


◆25年周期で訪れる変化と危機

スズキは会社としては1920年の創業で、ちょうど今年で法人化90周年になる。私が

浜松に来て会社に入って52年。そのうち32年間、社長と会長をやってきた。よくもそ

んな責任の重い仕事を32年もやってるな、なぜ80にもなってやってるのかとよく言わ

れるが、辞めたらボケる。働いていれば神経を使い前を向いて歩こうという気持ちに

なり、ボケる暇はない。


スズキの90年の歴史を見ると、大体25年周期くらいで変化し、あるいは危機に直面

している。


鈴木式織機株式会社で主に織物の機械を作って飯を食ったのが初めの25年。戦後

は一時鍋釜を作ってしのぎ、次にオートバイ作りを始め、昭和56年には日本だけで

350万台売れるまでに成長した。今では70万台弱と5分の1を切っているが、国内オー

トバイ市場で飯を食ったのが約25年。


昭和56年に有名なHY戦争があり、3位のスズキは低価格競争のとばっちりでガクン

と業績が落ち、輸出を始めた。しかし2輪の輸出で飯が食えたのは10年ほど。日本

人の平均賃金が高度成長で上がりペイしなくなったからで、今度は海外に現地工場

を作った。


それに前後し軽4輪を作り始めた。海外は軽だけではダメだと小型車も作り始めたこ

とで、何とか25年もった。今では国内生産が約90万台、海外生産が140万台と合計で

約230万台になっている。海外の中でも成功したのがインド市場だ。


このように25年から30年で互いにオーバーラップしながら主力製品は変わってきた。





皆さんの物流事業の関わりで言えば、メーカーに代わって倉庫業務を受け持つ、コン

ピュータで管理を高度化するなどの展開があるだろう。


また配送では東京—大阪間を片道だけ運んでいたのではコストアップになるから往

復とも荷物を運ぶにはどうするか、工夫を重ねどんどん変化させて今日を迎えておら

れると思う。ただの運び屋ではなく、そこにどんな知恵をつけるかだ。





32年前、昭和53年に社長になったとき、スズキの売上は3,232億円だった。それから

12年で1兆円になり、次に1兆円から2兆円になるのにまた12年かかった。1年平均に

すると約800億円ずつ増えた計算だ。24年で2兆円だから、次の12年で3兆円にしよ

うなんてつい考えてしまう。


ところがスズキにとって不幸だったのは、売上2兆円が3兆5,000億円になるまで、わ

ずか5年しかかからなかったことだ。


そのとき私は危機感を持ち、社内で竹の話をした。昔、雪が積もった飛騨の山奥を歩

いていると、時折「きしー、きしぃー」と木の折れる音がした。杉の木は伸びるのが速

いが年輪の密度が粗いので弱く、雪の重みで縦に裂けてしまうのだ。


それに対して竹は、雪の重みでしなっても折れない。なぜ折れないかというと、30cm

から50センチ間隔で固い節があるからだ。


スズキは12年で数百億円と60cm、70cm間隔の節を作り伸びてきた。それが2兆円

から5年で3兆5,000億円というのは、3mのあいだ節がなかったということだ。節がな

ければ折れやすい、気をつけないといかん、言っていた矢先にリーマン・ショックに遭

遇し、スズキは「最大の危機」に陥ってしまった。

(次回につづく)

 

 









月刊マテリアルフロー 編集長

菊田一郎



 

 


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